怒りの感情というのは、非常に厄介だと思います。
部下を怒っている上司が
「お前のためを思って言っている」
「お前に期待しているから」
と言うシーンをよく見かけます。
はっきり言って、あれは98%の確率でウソだと思います。
※98%は正確ではありませんが、大半はウソだと思います
いや、腹が立ったから怒りをぶつけただけだろ、と。
怒りっぱなしでは後々の人間関係にも支障をきたしますし、着地点も見つからないので、後付けで「お前のために」と言っているだけだと思います。
こんなこと言うと反感を買いそうですが、私個人はそう思っています。
相手のためを思ったら「怒る」が先にくるのはおかしいとはずです。
相手のためなら「相手が良くなるにはどのように伝えるべきか」を考える必要があります。
その目的を達成するために「怒る」という選択肢は極めて非効率です。
それは怒られる側の立場になると分かります。
怒られたら、
「腹が立つ」「落ち込む」
この2パターンになる方が圧倒的に多いはずです。つまりモチベーションが下がります。
怒られた後に「よっしゃー!モチベーション上がったー!」という人には、出会ったことがありません。
「怒られた」ということは強烈に印象に残りますが、怒られた後に「このように改善しよう」とは、なかなか思えませんよね。
これは怒られた経験がある方なら誰しも理解できるところだと思います。
怒られると防衛本能が働くので、ポジティブな考えになるのが極めて難しくなります。
つまり怒ったら相手のプラスになりにくいのです。
それを分かっているはずなのに
「お前のために怒っている」
「怒られているうちが華だ」
こういう人を見ると「はっ?なんで?」と思います。
「どういう理屈だよ」と。
「そんな華、いらないよ」と。
よく「怒るはNG」で「叱るがOK」なんて言われることもあります。
このニュアンスもかなり微妙です。
確かに叱ることが必要な場面もあると思います。
しかし明らかに怒っている人が「あれは叱ったんだ」と自己完結させている場合も往々にしてあります。
本当に謎です。いや、怒っているだけじゃんと。
相手のミスや無礼にスポットを当てて叱るのは全然ありだと思いますが、相手の能力や人格を否定している時点で叱るという領域を超えています。
DVで奥さんを殴る人が「愛しているからだ」という意味不明のフォローをしたり、いじめっ子が「遊びのつもりだった」という理屈と同じだと思います。
愛しているからという理由で殴るのは明らかにおかしいですし、一方的に相手を傷つけるのが正しい遊びだとは思えません。
それが会社で仕事をすると「部下の教育のため」という理由に置き換わります。
相手のプライドや尊厳を踏みにじって、一方的に攻撃したうえに「お前のためだから」と言える感覚。正直、頭おかしいのかなと思います。
相手のためを思うなら怒る、叱るより「諭す」というのが正しい気がします。
相手が良くなるように、根気よく向き合って対話をしていく。諭すの中には、怒るという要素が入る余地はありません。
先ほども申し上げた通り怒りの感情をぶつけて相手に良くなってもらうのは極めて効率が悪いからです。
しかし、怒りの感情をコントロールして相手を諭そうとするのはかなり少数派です。大多数は「叱る」と言いながら自分のイライラを相手にぶつけています。
結局、相手のメンタルがすり減っていき、生産性も下がっていきます。どう考えても良いことはありません。
それでも人間は感情に振り回される生き物です。コントロールしようと思ってもなかなかできません。
頭では理解していても「むかつく」という感情を優先させてしまいます。
結局「お前のため」って言っている人の大半は「自分のため」なんですよね。
そう思います。
それだけ感情をコントロールするのは難しい。
だからイジメは無くならないし、パワハラも無くならないのだと思います。
話が大きくなってしまいましたが、僕もイライラを周りにまき散らさないように、人と接していきたいところです。