「本当の自分」なんてものは、一生掛かっても分からないかもしれない

 

昨日、お世話になっている方とアポイントがあった。お気づきかもしれないが、昨日のブログとほぼ同じ出だしである。最近は人と会えるのが、結構楽しみになってきた。引き籠り期間を経て人と会い始めているから、なおさらそのように感じるのだろう。

 

引き籠って作業をしている時は、とにかく知識量が増えていく。勉強する時間も長くなるので、知識習得という点においてはかなり良かったと思う。仮想通貨や人工知能など、学びたいことに時間を割くことができている。

 

ただ、人というのは、本質的に他者との繋がりを求めるところがあるのだろう。引き籠っていると「人と話がしたい」という衝動に何度も駆られた。完全に寂しがり屋の発言であるが、他者との関係を一定期間断っていくと、心理状況も変わるものなのだと実感する。

 

自分自身と向き合って感じているが、引き籠り生活もメンタル的にそろそろ限界に達していたのだろう。昨日のように、お世話になっている方と近況報告できるのは、本当に嬉しい時間だった。これからも、誰彼構わず会うつもりはないが、素敵な方とのご縁は大切にしていきたいと思う。

 

そして、昨日お会いした方に質問を投げかけてみた。「僕ってどんな人間に見えますか?」と。ふと、気になったので聞いてみたわけだが、これが思いのほか面白い回答が返ってきた。

 

その方の言葉を要約すると「小川は目立つ」ということらしい。僕は身長が185cmあるので、その意見を聴いた時は「背が高いからかな?」と思った。ただ、その方が言うには、背が高いとかそういうことではなく、なんかよく分からないが目立つらしい。だからSNSにアップされてくる写真でもすぐに目に入ってくるし、セミナーやイベント会場にいてもすぐに見つけられるとのこと。

 

「へえー!!」

 

その時、なかなか興味深い意見だと思ったわけだ。だって、自分では自分が目立つなんて客観的に分からない。自分のことは写真や鏡以外で見たことがないから、そんなの分かるわけがない。第三者から言われてはじめて「そういう風に思われていたんだ」と認識できる。

 

人間というのは不思議なもので、自分のことは想像以上によく分からなかったりする。他人のことは客観的に見れるのに、自分のことになると、てんでダメだ。自分で自分のことを客観的かつ深く見つめるというのは、想像以上に難しい。だから多くの人は「自分ってどんな人間なのか分からない」と迷子になってしまう。僕も、何度も迷子になった。

 

自分でいる限りは主観からは逃れることはできないし、本当の意味で客観的な意見を聴きたければ、第三者に聴くしかない。結局、自分のことって分かっているようでわかっていないことが多いのだ。

 

ただこの辺りも難しいもので、人間には“自我”や“プライド”があるから、そのような意見を受け入れられないこともある。大なり小なり人は「自分はこういう人間なんだ」と主観を持っている。それは、日々活動していく上で自信にも繋がることだから、大切な部分ではあるだろう。しかし、度が過ぎると他人の意見を受け入れられずに、柔軟性が無くなってしまったり、成長が遅れてしまったりする。

 

もちろん、的外れな意見を言う人もいるから、その辺りは冷静な判断が必要ではある。思考停止で鵜呑みにし過ぎても良くない。客観的な意見を求めて他人から意見をもらったり、適性診断や性格診断をしたとしても、参考材料にはなるがそれが混乱の原因になることもある。

 

なんだ?書いててすごく難しい感じになってきた。話をややこしくしないために、まとめていきたいと思う。

 

こういうと身も蓋もない話だが、本当の自分なんていうものは一生掛かっても分からないことなのかもしれない。自分のことはよく分からないし、他人の意見を受け入れる時も冷静な判断が必要になる。考え過ぎて堂々巡りになることもあるだろう。

 

それでも人は、今よりも成長するために、主観と客観のバランスを取りながら前に進んでいくしかない。素直さを持ちつつ、客観的な思考も持ちつつ、第三者からの意見を活かしていきたいところだ。


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